樹から生まれた双極性障害2型

主に詩や小説を書いています。

「ディストーションした精子」

2005年、冬の終わり。体の頭にワケの分からない火が着火した。そう、今、この火が着火した、という日本語がおかしいのではないかと、また考え込んだ。

伝わればいいのに。兎角、日本人はカタク、きちんと収まっていないと気持ちが悪いという民族だ。そう、今、鳴っているマイルスのビッチーズのジャズなんて、本当は嫌いなんだよ。不協和音は日本人は受け付けない民族なんだ。

へ、俺はイかれているから最初の文章と違う方向へ向かってるだろ。戻すよ。

2005年、山に雪の畑がそこそこになった頃、俺の頭はディストーションしたんだ。

ディストーションの意味が知りたいのなら検索してくれ。得意だろ。好きだろ。

俺は山を愛した。ウォーキングを愛した。今、ウォーキングを愛せないけど山は愛してる。というか、愛せねばと思っている。

ディストーションの日が続いたある日、山にくたびれたエロ本が置き去りにされてた。

なんか、可哀想に思った。そして興奮した。

心が健康と錯覚し、力がみなぎっている。その時、思った。アスリートは絶対、性欲が強くてセックスも激しいのを好むと。

俺は、そのエロ本を手に取りしこった。山のふもとだ。人っ子一人いない。

誰も見てない。誰もいない。いいじゃねえか。

すぐにでた。あれは、、、、、、家という囲いの中で陰湿にやるよりも、お日様の下で、ひんやりとし、心地よい風を浴びた剥き出しの射精は、その辺のオナニストとは別格だ。そう、俺はあの時別格の存在だったんだ。

ところで知識もないボンクラの俺は思う。誰も見てない、山のふもとでセックスしたら捕まるのか?

俺はそれをやりたいと思ってはいない。

 

ディストーションは機械だ。機械はいずれ壊れる。頭も壊れる人もいれば、生涯に渡って壊れない人もいる。

壊れてない人はつまんない。俺の理想は壊れていながらも、礼節を演じられる人だ。

従って演技力が問われる。俺は演技が上手いのだろう。そして頻繁に下手くそになる。

今、マイルスの音楽がアグレッシヴで混濁とした音の洪水が、夜の川のせせらぎになった。こう言う比喩を嫌う人もいる。好きな人もいる。だから常日頃俺は言っている。

人は労働以外、指図されていない時は好き勝手思い、好き勝手くっちゃべってる、と。

人間の感覚ってほんといい加減だな。今日、自分のCDがちゃんと焼かれているか確認の為に、リサイクルで安いコンポを買った。ステレオでは無い。コンポだ。

初めて音を聴いた時、「音が悪い」と思った。それはイかれちまったステレオの音と、オーディオインターフェイスを通したパソコンの音に耳が慣れちまっているから。

で、さっき思ったわけ。後ろで流れてるマイルス、いいなぁって。これぐらいの音質で全然いいじゃんって。

で、人間の感覚がいい加減なのは聴覚だけではないなと思っちゃうわけ。

すべて。すべていい加減にできてる、と。

だから、別れた、すべった、離婚だって当たり前なんじゃねえか、と。

それを繋ぎ続けるのは、教養と忍耐と妥協だと思う。

ヒステリックな人間は、まず自分の非を認めない。

四日前、二日前とスタジオに入った。二日前のスタジオが終わった時、二十五年ぶりのロッテリアを経験した。もちろん喫煙席だ。

俺は観察が好きだ。透明のガラスで区切られているが、サクが天井までいってないんだよ。あ、今、気付いた。二階は全席喫煙席だった。ん、、、、、、そのはずだ、自信が無い。

注文する時、喫煙席はどこですかと尋ねると、お二階です、と店員が言ったので、一階が非喫煙席、二階が喫煙席だろう。

俺が座った近くに、うら若き可愛い女性が二人座って会話をしている。

俺はぼんやりと外を見ていた。ふと思った。このうら若き二人の女性は、性格がいいと。

というのは、人の陰口、悪口が一切出てこないのだ。

「あの歯ブラシって使いづらいよね」とかそういう会話だ。

ああ、平穏だ。小難しい話でもなければ、誰かの陰口でもない。怒りの欠片も無い。

ああいう二人の中に居ると、きっと幸せだろう。頭はディストーションしない。

ディストーションは子供のおもちゃだ。おもちゃはおもちゃだ。

大人の歳になると、どうしても平穏を求めてしまう。

チャイコフスキーは五十三歳で亡くなっている。その顔は老人そのものだ。

俺は五十二歳だ。そう、老人なのだ。

老人には老人の力がある。もしかすると、若者のディストーションではなく、老人のディストーションも、あるかもしれない。

そう仮定すれば、若者のディストーションは、ただ騒々しいだけ。

老人のディストーションは、経験が含まれている。よく言われている、酸いも甘いも知っている、というやつか?

俺はその言葉が嫌いだ。枯れたディストーション?いや、そんなものはディストーションとは言わない。

もし、興味があるのなら、そしてが持っているテレビが安物なら、ディストーションを体験できる。テレビのスィッチをオンにして、ヴォリュームを最大にするのだ。すると音が割れる

それを音楽用語でオーヴァードライヴという。すなわちディストーションに近い。

同じではないんだ。

若者にとって、青年にとって、学校では教師に怒鳴られ家では親に怒鳴られ、居場所が無くなった時、このディストーションは、鬱積した、湿気った火薬に火を点ける。

その音はヘッドフォン(イヤフォン)より、実際の音を体感しなければいけない。

兎角、日本の住宅事情は悲惨だ。アメリカに犬小屋とまで言われてる。

野外でぶっ放すと、音の壁が存在しない無敵の自然に吸い取られる。

壁の反響によって、初めてディストーションが体験できる。

そう、山でシコッたオナニーは、実はディストーションだったのだ。

ディストーションは 音を出せば   でる

オナニーは     しこれば    でる

 

放出された ディストーションの音は、録音すれば後に残る。

精子は子孫繁栄の源だ。しかしながら、不妊治療だ、優秀な遺伝子を持っている精子が欲しいなどと、ふざけた方向へ突っ走る。その道路は鋭い石がランダムに飛び出ている。その石につまずき、傷つき、足は傷だらけで血まみれだ。

ディストーションが嫌いな人、苦手な人はその場から去ればいい。去れない状況ならば耳を塞げばいい。

なんか、人間よりも音楽の方が賢いんじゃないか。でも、その音楽も人間が作るものだしなぁ。

自然の音。音楽の音はその音を超えられない。

自然、そう、山だ。山でオナニーだ。爽快だぞ。

だから言ってるじゃないか。人を愛する前に自然を愛しなさい、と。

今日のブログ。ディストーションしてる感じだ。